あの頃のわたし
こんばんは。
前回の記事で長年使っていた蛍光灯とドライヤーが寿命を迎えたため買い替えたお話をしましたが、昨日は6年使ってた扇風機が動かなくなり、完全に「転換シーズン」に突入している星の子です。
就活の相談に乗る中で
社会人になってしばらく経つ私ですが、今年の2月から空き時間や休みの日に学生さんの就活相談に乗ったりしています。
最近は夏休みということもあり、その応募数もじわじわ増えてきています。
話してて思うのが、今の子は準備が早いですね〜。(私が遅かっただけかもしれないですが)
お話しする学生さんの多くが大学3年生の子たちで、既に自己分析や企業調査を始めてそれなりに形にしているという方もいらっしゃるんですよね。
ほんとに行動力に感心します。
さて、そんな感じで就活生とお話していると自分の学生時代の頃の記憶が思い起こされたりします。
私が就活生のときは、牧師先生から学んでいた聖書の話を通して、自分についてしっかり把握し、ブレない軸も持っていていたため、特に就活に関してはそこまで苦労せず、また気を病むこともなく楽しくできていました。
ただ、この「聖書」に出会うまではなかなかでした…。笑
夢を持ってあこがれの東京へ
上京したての頃、デザイナーになるという夢を叶えるため専門的な学校に入ったはいいものの、学校で自分の作品がなかなか評価されず、自信をなくす日々が続いていました。
夢を持った多くの人がいる東京、高層ビルが立ち並ぶこの都会で、果たして自分は夢を成すことができるだろうかと毎日不安を抱えて生活していました。
当時、自分の価値が分からなくて、軸を作るためにメンターが欲しいと思い自己啓発本も読みあさったり、毎週末 海に行って波を3時間くらい眺めたり…正直笑っちゃうくらい将来について深刻に悩んでいました。なかなかにやべー学生ですね。笑
そうやって1年半が経った頃に、天の巡り合わせ(?)によって「聖書」に出会うようになりました。
あまりに唐突すぎて当時は(ついに私にも来たか…宗教…)と思いましたが、その思い以上に今の自分を変えたくて、自分の軸が欲しくて期待半分、不安半分の中、聖書をようになりました。
運命を変えた出会い
結果的に聖書の話を通して、自分の価値を知り、自分にはないと思っていた才能や魅力に気づき、「わたしはわたしでいいんだ」ということをはっきり悟るようになりました。
今、夢を叶えてデザイナーとして働き、学生たちの相談に乗るまでになった私ですが、はじめから素質や才能があったわけではなく、むしろ評価されず、求められず、センスがない自分に落ち込み、モノを作るたびに自信を失ったりもしました。
このマイナスのところから、今ここまで来られたのはとても不思議ですが、ただ言えることは、「上京から1年半のあのときあの瞬間の私は最高の選択をしたなぁ」ということだけです。
それほど私自身の人生において、牧師先生が教えてくれる聖書の御言葉は大きな影響を与えてくれました。
学生さんの話を聞きながら改めて、自分がずっとやりたかったこと、好きなことを仕事にできていることは本当に嬉しく、幸せなことだなと感じます。
自分を変えてくれる機会はいつ、どんなタイミングで、どんなカタチで来るか分からないからこそ、いつでも掴めるように準備していきたいものですね!
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求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。 すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。 あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。 魚を求めるのに、へびを与える者があろうか。 このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか。
マタイによる福音書 7:7-11